コラム[cf.]
相続法の改正と自筆証書遺言【終活】
民法の相続法分野について、昭和55年から約40年ぶりに大幅な見直しがされました。
配偶者の居住権を保護するための方策、遺産分割や遺言制度、遺留分制度、相続の効力等に関する見直しのほか、相続人以外の者の貢献を考慮するための方策など、どれも興味深い改正ですが、今回は、遺言制度に関する見直しのうち【自筆証書遺言の方式緩和】について確認したいと思います。
遺言には、自筆証書遺言、公正証書遺言、秘密証書遺言の3方式があります。それぞれのメリットとデメリットの比較は割愛しますが、自筆証書遺言は【手軽に作成できる】とか【法定費用が不要】などの理由で選ばれる一方、何もかも【自書=手書き】を要求されていたことから、自書要件の不備により無効となる危険性がありました。
この改正は【遺言の利用促進】が狙いのようで、確かに、財産目録を別紙として作成し添付することができて、その別添する財産目録は自書でなくてもよくなりました。パソコンで作成してもいいですし、他人が手書きをしてもいいですし、また、通帳のコピーや登記事項証明書を添付しても構いません。兎に角、全文が自書だった頃に比べれば、別添の財産目録として全文の一部でも自書から解放された点は大きな変化といえます。この改正で、自筆証書遺言は【手書きからパソコンへ】のようなイメージとなってその利用も増加するかもしれませんが、私が遺言を検討する際に重視する点は、
手軽さとか費用負担が少ないとかの[利便性]ではなく、
熟慮した遺言が実現するための[確実性]と考えます。
さて、人によっては、遺言そのものが要らないという考えの方もいらっしゃいます。下手に遺言を書いて争いになるくらいなら、生前に直接、相応の贈与をしておけばいいとのこと。この点は、贈与税と相続税の比較もしなければなりませんし、逆に遺言がなくて困るケースもあります。遺言があったことで必ず争いを招くとも限りませんし、遺言は資産家だけが書くものとも限りません。
書かなければ意味がないという点では、利便性も手伝って自筆証書遺言を利用することは一つの方法ですが、やはり、私は、遺言を書くなら【公正証書遺言】がベストと考えます。法定費用の負担が大きすぎるとか、公証人や証人のことを考えると手間がかかるなど、何かと【手軽さ】と比較してしまいがちですが、その遺言が実現しなかったらどうしましょう。遺言は、書くことに意味がある訳ではなく、確実に実現されることに意味があると考えます。この改正では【緩和】が強調されがちですが、財産目録への署名押印や訂正方法のルールにも注意しなければならないですし、もともとの自書の部分に不備があったら元も子もありません。
自筆証書遺言の緩和は一部分であって、まだまだ自書が原則であることに変わりないので、積極的に推奨しないまでも、相談者の要望を考慮しながらの活用を検討しているところです。参考までに、私が理想と考える自筆証書遺言は、第3順位の相続や内縁の夫婦関係にある場合を想定していますが、余計なことは書かずにシンプルな内容に適しているため、次の3行でまとめます。
・・・【1行目:全文】私の全財産を、妻(名前をフルネームで)に相続させる。
・・・【2行目:日付】令和1年(または2019年)10月11日
・・・【3行目:氏名】ご自身の名前をフルネームで自署
何れにしても相続とか承継がかかわる場面で、相続税を納めるほど財産がないから遺言も必要がないとか、うちの家族は大丈夫などの理由から、何も準備をしないことが良い方向に働くとは思えません。ご自身が【遺言を書かない訳にはいかない状況にあるのかどうかの見極め】を含めて、専門家の意見も聞いてみて下さい。熟慮に熟慮を重ねて、決して自己完結しないことを望みます。
念のため、自筆証書遺言の方式緩和の改正は、2019年(平成31年)1月13日(日)の施行日【以後に作成】された遺言について適用されます。施行日【前に作成】された遺言については【相続開始が施行日以後】であったとしても適用されませんのでご注意下さい。何時作成したかが分かれ目となります。また、法務局における自筆証書遺言の保管制度については、施行日が2020年(令和2年)7月10日(金)ですが、遺言が実現する気配を感じ、これも気になるところです
<参考>民法第967条、968条、法務省HP民事局/民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律について(相続法の改正:パンフレットPDF)、法務省HP民事局/自筆証書遺言に関するルールが変わります
処分に困る土地【終活】
『親から相続した実家にある土地や山林とか、正直、場所はハッキリしません。自分にとっては必要でなく、今後実家で暮らすことはないし、特に愛着もありません。何とかしたいのですが、売れそうにもないので秘策を考えたんです。自分の財産は生前に子供達に贈与しておいて、処分に困る土地だけ残す。子供達に相続放棄をさせれば、その土地は国のものになる。いい考えだと思いませんか』
・・・と、相談を受けたとします。
結構自信たっぷりに言われてしまうと返答に困ってしまいますが、なるほどと相槌を打って、さりげなく話題を変えるか。それとも、そのまま同調して盛り上がった方が無難でしょうか。
相続は[引き継がれるもの]ですが、
[引き継がせないようにする]ために生前から整理しておくことも重要です。
財務省HP内の財政制度等審議会・国有財産分科会の答申・報告書等に掲載の【今後の国有財産の管理処分のあり方について-国有財産の最適利用に向けて-(答申)PDF】の中で、相続人不存在の場合における清算後の残余財産の国庫帰属についての記述があります。
その記述によると、相続放棄申述受理件数や国庫帰属財産額は年々増加傾向とのこと。そもそも、相続人不存在の場合における国庫帰属は、利害関係人等からの申立がなければ始まらないところ、その申立すらなく相続人不存在の不動産がそのまま放置される状況(=所有者不明土地)をどうにかしたい。この対策として【国との死因贈与契約等により不動産の遺贈を受ける仕組みを設けるべきである】とし、国としては、死因贈与契約等を締結することで、利害関係人として手続きの当事者になる狙いがあるようです。
ただ、無条件に国庫に帰属させればいいという訳ではありません。当然、契約の段階で、年齢や個別事情、相続人となることが見込まれる者の有無、資産状況や土地の管理状況など、把握と管理のために慎重な対応になるようです。
さて、処分に困る土地を引き継がせないようにするための最終的な手続きを次世代に残す前述の秘策は、今後、この答申に当てはまるのでしょうか。
そう言えば、私が相続税法に合格した平成13年の税理士試験問題は、特別縁故者に関する相続税法の規定についてでした。
我々は税法の専門家であるため、相続人が不存在のケースについては、国庫に帰属する前に特別縁故者に対する財産分与がされた場合の相続税の課税関係を主に学ぶのですが、スタートである相続放棄の申述手続きはできませんし、相続人不存在の現状や相続放棄の適否について議論できるほどの学び方は中々しません。
残念ながら、前述の秘策のような話をされた場合、専門家の領域の違いによって返答に差が出てきてしまうのかもしれませんが、何もかも法律にガチガチに当てはめる必要はありません。相続の当事者になったとして考えてみようと思います。
『・・・どのような場面であれ、親である貴方が面倒と感じることは、同じく、子供達にとっても面倒でしょう。親の世代で解決して、子供達に煩わしいことを残すべきではありません・・・』
今後の動向が気になります
<参考>民法第554条、938条~940条、951条~959条
役に立たないエンディングノート【終活】
いきなり勘違いしそうなタイトルになってしまいましたが、念のため、
[エンディングノートは役に立たない]のではなく、
[エンディングノートは書かなければ何の役にも立たない]という内容であり、以前、別件で相談に来られた方からお聞きした相続のお話を紹介させて頂きます。亡くなられた方は事業をされていた方でもなく、また資産家でもなく、相続税とは接点のない所謂【小さな相続】とされるケースでした。
ご夫婦共働きの父と母に子2人の典型的な第一順位の家族構成で、お母さんが亡くなられたとのこと。当時、お父さんとお母さんと長男は同居で、次男は別居のなか、お母さんの辛い闘病生活が続いたそうです。
間もなく余命という事実を聞かされたそうですが、不思議なものでお父さんとお兄さんは【その現実を受け止められずに落胆】し、他方で弟さん家族は【お母さんにとってどうすることが一番いいのか】を考えたそうです。そして、残されるお父さんとお兄さんにとっては、まさに【エンディングノートは必要だ】とも・・・。
結局、闘病生活の中でエンディングノートを書いてもらうことはできなかったそうですが、弟さん家族は、病室を訪れる際は悲しい顔も悲しくなる話題も一切なしでいこうと決め、何気ない会話の中にも笑顔が見れるようにと様々なお話をされ、お母さんから色々なことを聞いたそうです。嫌いな食べ物のこと、趣味のこと、自分の姉妹や親戚のこと、孫のこと、家のなかのこと、食べれないのに作ってみたい料理のこと、へそくりのこと、仏様のこと、元気になったらやりたいこと、今食べたい物のこと、早くお家に帰りたいこと、元気なうちにお父さんと旅行に行きたかったこと、いつでもお父さんとお兄さんを心配してること・・・などでした。
このケースではお母さんの気持ちが書面にも音声にも残っていません。また、弟さん家族としては、治療を受ける病院の選別や、余命をきちんと伝えたいという願いは実現できなかったそうですが、限られた時間にされた会話の中でお母さんから聞き取ったこれらの内容は、まさにエンディングノートそのものだったように思います。そして、お聞きして感じたこと・・・形は何でもいいんだなということです。
理想としては、日常生活の中で、それぞれが、それぞれのメッセージをくみ取ることができればそれに越したことはないのですが、叶わない場合もあるでしょう。それでも、遺産分けを目指した遺言とは異なり、エンディングノートは作成してこそ意味のあるものと考えます。あらためて思いました。
・・・気になるところですが、その後のことはお聞きしておりません。唯々、お母さんのメッセージが、お父さんとお兄さんに伝わっていることを願うばかりです。