コラム[cf.]
役に立たないエンディングノート【終活】
いきなり勘違いしそうなタイトルになってしまいましたが、念のため、
[エンディングノートは役に立たない]のではなく、
[エンディングノートは書かなければ何の役にも立たない]という内容であり、以前、別件で相談に来られた方からお聞きした相続のお話を紹介させて頂きます。亡くなられた方は事業をされていた方でもなく、また資産家でもなく、相続税とは接点のない所謂【小さな相続】とされるケースでした。
ご夫婦共働きの父と母に子2人の典型的な第一順位の家族構成で、お母さんが亡くなられたとのこと。当時、お父さんとお母さんと長男は同居で、次男は別居のなか、お母さんの辛い闘病生活が続いたそうです。
間もなく余命という事実を聞かされたそうですが、不思議なものでお父さんとお兄さんは【その現実を受け止められずに落胆】し、他方で弟さん家族は【お母さんにとってどうすることが一番いいのか】を考えたそうです。そして、残されるお父さんとお兄さんにとっては、まさに【エンディングノートは必要だ】とも・・・。
結局、闘病生活の中でエンディングノートを書いてもらうことはできなかったそうですが、弟さん家族は、病室を訪れる際は悲しい顔も悲しくなる話題も一切なしでいこうと決め、何気ない会話の中にも笑顔が見れるようにと様々なお話をされ、お母さんから色々なことを聞いたそうです。嫌いな食べ物のこと、趣味のこと、自分の姉妹や親戚のこと、孫のこと、家のなかのこと、食べれないのに作ってみたい料理のこと、へそくりのこと、仏様のこと、元気になったらやりたいこと、今食べたい物のこと、早くお家に帰りたいこと、元気なうちにお父さんと旅行に行きたかったこと、いつでもお父さんとお兄さんを心配してること・・・などでした。
このケースではお母さんの気持ちが書面にも音声にも残っていません。また、弟さん家族としては、治療を受ける病院の選別や、余命をきちんと伝えたいという願いは実現できなかったそうですが、限られた時間にされた会話の中でお母さんから聞き取ったこれらの内容は、まさにエンディングノートそのものだったように思います。そして、お聞きして感じたこと・・・形は何でもいいんだなということです。
理想としては、日常生活の中で、それぞれが、それぞれのメッセージをくみ取ることができればそれに越したことはないのですが、叶わない場合もあるでしょう。それでも、遺産分けを目指した遺言とは異なり、エンディングノートは作成してこそ意味のあるものと考えます。あらためて思いました。
・・・気になるところですが、その後のことはお聞きしておりません。唯々、お母さんのメッセージが、お父さんとお兄さんに伝わっていることを願うばかりです。